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予防で全ては防げない

学校の性教育の問題は、現実・生の情報が提示されていないことだと思う。だから性教育では理想(イデアール)、つまりノーセックスやステディセックス、セーファーセックスが語られ、生徒をそこへ誘導しようとする。一方生徒は、理想なんてどうでもよく社会風俗の影響を受けて、いろんな性生活の理念(イデー)を個別に持っている。


私自身はカトリックの信仰を持っているから婚前の性交渉は神への冒涜であると確信している。しかしその確信は、性交渉によって人が傷つかないためにある。性交渉によって実際に傷ついた人に対しては、この確信を伝えることはさらに深く傷つけることになる。そして傷ついた人をさらに傷つけることはキリスト教の信仰に反している。


現代の性教育も同じように考えられる。教育で確かに生徒を予防しているつもりでいるかもしれない。しかし予防ではすべては防げないし、教育内容に生徒が従順だとも思わない。生徒が一回経験してしまえば、予防で掲げられた理想は一気に空虚になる。小学校の性教育の授業の時教室で聞いた笑い声は性的なものに対する新鮮な興奮であった。しかし高校生の授業の時教室で聞いた笑い声は、おそらくだがほとんど童貞を捨てた生徒の、教師の掲げる理想に対する冷笑だったのだろう。


だから、教育にはケーススタディーが必要だと思う。なぜ(ある特定の)性交渉が起こったのか?性交渉をしたら何が自分の中で変わったのか?相手との関係はどう変わったのか?もしそれで傷ついた人がいるなら、第三者はその人にどう寄り添えばいいのか?そのような生の情報に対する生徒自身の態度を考察させることによって、生徒は性的なものに対する態度を、教師の掲げる理想と生徒自身の持つ理念との間で養うことができる。教師も生徒も性の現実問題を知らないか、知っていたとしても限定的である。現実に何が起こっているかを知って性の問題を考えさせるべきである。


また補足になるが、学校は性の問題を性教育でしか扱わないきらいがある。性教育は、生徒と教師がそれぞれどのように生きたい(Wollen)か、生きるべき(Sollen)かを考える人生の哲学の一つの重要な切り口である。人は一生性のことを考えることになるとは思うが、それが自分自身の生き方を決めているという性の重要性にも、教育界は気づくべきだと思う。


20代 男性




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